2019年月報9月号巻頭言「感謝し合う心を持って」吉岡恵生

「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。(コリントの信徒への手紙一12:27)

9月15日(日)に行われるシカモアバザーに向けて、今年も慌ただしく準備が進んでいます。これまでの私自身の教会経験からしても、これほど大掛かりで多くの人々が関わるバザーはありません。来場者は毎年1,000人を超え、バザーを支える奉仕者は、延べ300人を数えます。これだけ多くの人々が関わるバザーとなると、すべての人が互いに「知り合い」であるとは限りません。しかし、すべての人が、主に招かれてバザーに来られ、また奉仕をしていることを覚えるならば、私たちは「他人」であった人々が、主にあって結ばれた大切な一人としてバザーの空間を共にしているのだということに気づかされていくことでしょう。

ある教会の話です。その日は教会の大きなイベントがあり、朝から教会員が忙しくそれぞれの奉仕に汗を流していました。ある人は、誰がどう見ても「ありがたい!」と思われるような目立つ場所での奉仕を与えられ、またある人は、目立たない場所で、しかしとても大切な奉仕を担っていました。どちらもこのイベントを成し遂げるための重要な働きです。しかし、目立つ場所で一生懸命汗を流していた人が、ついこう言ってしまうのです。「なんであの人たちはあんな楽なことばかりしているのだろう。私たちの大変さも知らずに…」。自分だけ頑張っている。この人は、そんな風に思ってしまったのです。実際、他の人々がどのような働きをしているのかも知らずに。

私たちのバザーにおいても、一人一人、互いにすべての奉仕について深く知っているわけではないでしょう。目立つ働きもあれば、目立たない働きもあります。働く場所も、環境も、時間も、必要とされる能力も様々でしょう。しかし、どの奉仕の働きも、すべての部分が合わされて、このバザーは成り立っています。そして何よりも、すべての場所に奉仕者を配置したのは、神様です。そのことを、私たちは信じたいと思います。

どのような状況でも、バザーのために奉仕をしてくださる一人一人が、互いに見えていても見えていなくても、心で繋がり、感謝し合う者としてこのバザーを成し遂げたいと思います。皆さんのご奉仕に、感謝いたします。

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