2019年月報7月号巻頭言「御前に進み出る」吉岡恵生

「喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ」。(詩編100編2節)

シカモア教会では、毎月第一日曜日に聖餐式を守っています。聖餐式とは、洗礼式と共にプロテスタント教会が大切にしている聖礼典の一つです。十字架上で裂かれたイエス・キリストの体を象徴するパンと、十字架上で流されたイエス・キリストの血を象徴するぶどうジュースを分かち合い、神様の恵みを視覚と味覚と共に、信仰を持って受け取ります。

聖餐式は、大きく分けて2つの聖書の記述をモデルにしていると言われます。一つは、イエスが十字架につけられる前夜、弟子たちと共に囲んだ、「最後の晩餐」の場面です。そしてもう一つは、イエスが2匹の魚と5つのパンを、5000人以上の群衆に分かち合った場面です。この両者は、厳密に言えば色々と意味合いが違う食事の場面を伝えています。しかし、共通していることは、いずれの食事も、イエスがテーブルマスターとして立たれ、その恵みを人々に分かち合ってくださっているという原点です。

イエスから人々へ、神から人々へ与えられる恵み。それが、聖餐式だということです。ですから聖餐式では、先立って与えられ差し出された神の恵みに、人々が自ら進み出、感謝を持ってその恵みに与る姿勢が求められます。シカモア教会では、そのことを目に見える形で表現するために、自ら前に進み出て聖餐に与るようにと会衆に呼びかけています。

世の教会には様々な聖餐式のスタイルがあり、会衆が座ったままで、パンとぶどうジュースが自分の席へと運ばれてくるような聖餐式のスタイルもあります。しかしシカモア教会では、与えられた聖餐の恵みに対して、ただ待つのではなく、自ら喜びと感謝を持って応え、前に進み出ることを大切にしています。皆が前に進み出るということは、礼拝の流れからすれば時間のかかることであり、また、決してスムーズだとは言えないような印象を与えるかもしれません。しかし、聖餐式にかかる時間やスムーズさ以上に、前に進み出て聖餐に与ることには、極めて重要で信仰的な意味があるのです。ぜひこのことを覚えて、毎月の聖餐式に与っていただきたいと願っています。

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