2017年月報6月号巻頭言「聖霊を感じて生きよう」
「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章4節)
十字架の死から復活したイエスは、40日間弟子たちの間に現れ、その後帰るべき天へと昇って行かれました。しかし、その時イエスは、弟子たちに一つの約束をされました。それは、「聖霊の派遣」でありありました。「聖霊」とは、ギリシャ語でプニューマと言います。これは、「風」を意味する言葉です。風というのは目には見えません。しかし、風にはものを動かす力があり、またその力を私たちは感じることができます。まさに聖霊とはこの風のように、目には見えないけれども、確かにそこに存在している力を表しているのです。
弟子たちはそれまで、イエスを通して神の力を目の前で見、神の言葉を直に聞くことができていました。しかし、イエスが昇天してしまうと、もう彼らはこれまでのように、表面上では神の力を目で見たり、神の言葉を直接的に聞くことはできないのです。しかし、イエスはご自身が昇天した後、弟子たちに聖霊を遣わし、その聖霊を通して、目に見えないけれども確かにイエスはそこに共にいて、力を与え続けてくださる存在となることを約束したのです。
その約束の成就が、使徒言行録2章のところに示されています。これは、いわゆるペンテコステの出来事であり、この時から弟子たちは聖霊の力、すなわち目に見えないけれども確かにそこにある神の力を受けて、本来語り得ないはずの諸外国の言葉で福音を語り出し、イエスの十字架と復活、そして今もなお神の力が人々に働いているのだという大きな恵みを世界中に語り伝えていったのです。この日は、世界に教会が立てられていった、教会の誕生日であるとも言われます。
今もこの世界には聖霊が働いています。目に見えないけれども確かにそこに神が共におられ、神の力が与えられている。私たちも、風を感じるようにこの聖霊を感じ、生きる者でありたいと思います。